性教育で男女の性について語られている現場で、「男性は産ませる性」という表現を目にすることがあります。この表現が与える様々な影響について考察してみました。

生殖だけに目を向けている表現

「男性は産ませる性」という表現は、「女性は産む性」の対から生まれた表現だと思われますが、生殖性に囚われたとても窮屈な表現で、本来豊かな性の在り方を伝える性教育で、このような表現をすることが果たしてふさわしいのでしょうか。

「精子を膣内に注入する」「妊娠するのは女性」という性のもつ一部の要素である生殖性のみを切り取った限定的な表現でしかないということです。この言葉には、生殖は義務という強硬な姿勢の人も数多くいることも示唆されるでしょう。

男性はいつも「精子を膣内に射精し、女性を孕ませる」というものだという単純な表現は、男女の関係性だけにフォーカスをあて、生殖行動にしか目を向けていない限定的な表現であると言えます。

男性は「孕ませてしまうかもしれない性」

そもそも男性は孕ませることはできますが、産ませることはできません。「男性は産ませる性」という表現は成り立たないのです。

男性が主体的に取り入れることができる避妊法は今のところ実用化に至っていません。その点を考慮すれば男性は「孕ませてしまうかもしれない性」と置き換えることができます。もしかしたら、「(本人は望んでいなくとも)妊娠させたくないのに妊娠させてしまう男性」も性被害者となり得るという新たな構図が出来上がるかもしれません。

男性主体の確実な可逆的避妊法は現在研究中

男性にとって「孕ませるかもしれない性」でなくなるためには、男性主体の確実な避妊法が不可欠となりますが、現状では不可逆的な方法(精管結紮術と呼ばれる、一度行ったら二度と元に戻せない手術)しか存在しません。

男性主体の確実な避妊法が今のところない男性にとって女性との性交は、自分は妊娠しないものの、「孕ませてしまうかもしれない」リスクを伴う危険な行為と捉えることができます。この事実に男性だけではなく女性も気が付くことは、男女間における性の健康について考える上でとても重要な視点といえます。

妊娠検査薬 Previous post 民間病院が独自に費用を負担しても若者支援をしてほしい理由
JSSTI Next post 日本性感染症学会 第34回学術大会(2021年11月27日~28日@金沢歌劇座)