予期しない妊娠への対応が難しい社会
空港のトイレで出産し、その後児の口の中にティッシュを詰めるなどして殺害したうえで死体を遺棄したとし、23歳の女性が逮捕されたというニュースが報道されました。
出典:空港トイレで出産、手提げ袋で遺体運搬か 殺害もほのめかす 新橋乳児遺棄(毎日新聞)
「トイレで産んだ」「児を殺し遺体を遺棄した」といったショッキングな事実だけに目を奪われていては見失う事実が多くあります。報道の行間から見えてくる日本社会の課題をひとつずつ考えていくことが、性の健康の推進に繋がっていきます。
キャリアを追い求めることと妊娠・出産を両立することが難しい。いざ予期しない妊娠が起こった時に頼れるリソースがまだまだ手薄かつ知られていない。こういった日本の現実をどう考え、どう対応すればいいのか。同様の出来事を繰り返さないために、それぞれの立場で何ができるのか。それを考えるために、このニュースについて性の健康の視点から解説してみたいと思います。
性の健康で読み解くニュース解説
女性だけが報道される不思議
同様の事件が報道される際は、大抵のケースで、逮捕された女性のことしか扱われません。妊娠はほとんどの場合、男女が行った性交の結果もたらされる事象であり、当然、男性も当事者のはずなのですが。捜査途中であり解明されていないことが多いために報道に乗らないという実態はあるのだと思いますが、妊娠は女性ひとりでは起こらないこと、性交を行った相手の男性がいたはずであることも忘れてはいけない視点です。
確実な避妊法不在の日本
「子どもを希望する時以外はセックスをしてはいけない」という禁欲的な主張もあるかもしれませんが、「性の健康」の視点から見ると、それは行き過ぎの主張であるように思います。人間の性行動には「生殖性(生殖のための性)」のほかに、「快楽性(快楽を求めることに肯定的な性)、「連帯性(相手とのつながりや愛情を確かめるための性)」という側面があるとされており、コミュニケーションとしてセックスが果たす役割は大きいです。
今回の女性や、相手となった男性にも、セックスをする動機があったのだと思います。事件の発端は、セックスをしたことではなく、避妊に失敗した(あるいは行わなかった)ことです。読者の方は日本にどういった避妊法が存在するかご存知でしょうか?①そもそも安心安全な避妊法の種類が少ない、②失敗率の高いコンドームが、主流の避妊法とされている、③安心安全な避妊法は種類が少ないだけでなくお金がかかる、といった現状があるのです。避妊法はこれまで「女性が主体的に使えることが大事」「避妊を男性任せにしてはいけない」という形で語られることが多かったですが、日本で使える女性にとって安心安全な避妊法は限られています。
一方で、それは男性にとっても同様です。避妊の話になると無意識的に「避妊に協力しない男性と、それを受け入れざるを得ない女性」という構図が持ち出されることが多いようですが、世の中にはその構図に当てはまらない事例も多く存在します。男性にとってパートナーが妊娠することは時として非常に強いプレッシャーとなりますが、男性主体の確実な避妊法は、不可逆的な方法(パイプカット:精管結紮術という、一度施術すると元には戻せない手術)しか存在しません。女性に妊娠の責任を押し付けるようなことは決して許されませんが、男性にとって性交が予期しない妊娠を伴わない安心できる体験となるかということを、前向きに考えることも必要ではないでしょうか。
昨今女性にとっての安心安全な避妊法の議論に光が当たることが多いですが、男性が主体的に使える確実な避妊法はないのです。
出産によりキャリアを諦めざるを得ないという日本の現実
出産は今でも女性の人生の大きなイベントです。特に若年、婚姻関係のない状態での出産は、社会的に不利な状況に追い込まれてしまいます。今回のように新卒の就活時期に出産をすることで希望するキャリアが実現できないことや、最悪の場合は就職自体が難しいことも考えられます。
当事者から見た「希望しないタイミングでの妊娠」は児童虐待、特に日齢0日での死亡(産んだ日に虐待死させること)と関係があると言われています。真実はこれから解明されるのだと思いますが、この女性にとっても今回の妊娠が希望しないタイミングでのものであり、自身のこれからを考えた結果、こうした事件に発展してしまったのかもしれません。
実効性のある支援を
性教育の普及で、より安心で安全な性交について理解を深めることはもちろん大切です。また、予期せぬ妊娠をした時に、関係機関に相談できる体制も合わせて必要ですし、第三者に相談することで、適した支援に繋がることも大切です。一方で、誰かに相談したいかどうか自体、個人の自由ではないでしょうか。誰にも言わなくても、女性自身が一人で解決できるような支援体制を作ることも考えていかなくてはなりません。すなわち、当事者目線の支援が非常に重要なのです。本当に必要な支援とは、実効性のある方法(確実な避妊、安全な中絶法、養子縁組のさらなる整備、それらのアクセスの向上、低額化)を制度的に保障することです。
「あなた」が今日からできること
子どもを空港のトイレで産んだことはそんなにショッキングなことでしょうか。将来のキャリアの実現を考える若い女性が、予期しない妊娠によってその希望を打ち砕かれることに恐怖を感じることは、あってはならないことでしょうか。「妊娠なんてしていない」と信じたい気持ちと、大きくなっていくお腹を見つめ妊娠していることを認めざるを得ない事実との間で葛藤し続け、いざ産んだ際にどうしていいのか分からずパニックになってしまうことは、あり得ないことでしょうか。
専門家の方へ
空港のトイレで出産後にもし救急車を呼んでいれば、「病院外で出産しその後、病院に搬送された未受診妊婦(妊婦健診を定期的に受けていない妊婦)」として扱われます。今回の出来事においてもそれは同様であり、刑事事件となることは避けられたのです。
もしあなたが職務上知り合った女性で未受診の妊婦さんやそうなるリスクのある方がいらっしゃれば、どうかこのことを伝えていただきたいのです。誰にも相談できない状況のなかで子どもを産み、それが事件に発展してしまう前の最後の砦だと言えます。
報道関係の方へ
「早いうちに相談するべきだったのだ」「産んだ時に救急車に助けを求めるべきだったはずだ」この手の出来事が起こるたびに、こうした論調の報道を見受けます。同じことを本人の目の前で言えるでしょうか?
「出産したばかりのわが子を殺した女性」という印象でこの出来事を見れば、女性が大変な悪人であったように感じられます。しかしながら、どんな出来事にも、報道の行間に隠れてしまう個別の事情が存在します。個別の繊細な事情に触れれば、今回の出来事も、この女性に対する見方が変わってきませんか?
国民の知る権利を守るうえで報道の果たす役割は極めて大きいと思います。他方で、報道のされ方次第で、出来事の当事者が社会からどう見られるのかは大きく変わります。そのことについてもご配慮をいただきたいと思うのです。
性の健康イニシアティブ立上げ人/代表・Sexual Health NAVI編集長
2002年より性の健康などの領域で活動。2004年には国際人口開発会議(カイロ会議、1994年)から10年を記念する国際会議ICPD+10にユースとして参加。2012年からWAS(世界性の健康学会)の活動に参加するようになり、同年から同学会の公式委員会Youth Initiaitive初の日本人メンバー(~2019年)。国内では世界性の健康デー東京大会の運営に2012年より参加し、現在は実行委員長も務める。2019年に世界性の健康学会から発表された「セクシュアル・プレジャー宣言」の公式翻訳チームのメンバーも務めるなど、性の健康やリプロダクティブヘルスの領域で国内外で長年活動している。